経営・ファイナンス
ハイアール 中国最大の家電メーカーの成長戦略と国際戦略 (2005年10月)
はじめに

2002年1月に中国家電メーカーのハイアールと三洋電機は、三洋の部品や製品をハイアールに供与するとともに、合弁会社「三洋ハイアール」を設立してハイアールの冷蔵庫や洗濯機を日本市場で販売することを主な内容とする業務提携を行った。

ハイアールは、中国トップの家電メーカーであり、同社は合併・買収も活用して、過去20年間に売上高を2万倍以上に拡大してきた。同社の成功は20世紀の中国産業界での奇跡とまで言われており、ハイアールの首席執行官(CEO)の張瑞敏(チャンルエミン)は中国では国民的な人気のある経営者となっている。

ハイアールは、世界でも白物家電(冷蔵庫や洗濯機など)メーカーとしては第5位に位置しており、近年は、中国国内やアジア諸国だけでなく、欧米先進国でも販売を拡大しつつある。

一方、三洋電機は日本の中堅家電メーカーであり、近年は白物家電やオーディオ・テレビから、デジタルカメラや電池などへ事業内容をシフトしつつある。しかし、近年、業績不振が続いており、2005年7月には3年間の経営再建計画を発表している。

これまでハイアールは、なぜ驚異的な成長を達成することができたのであろうか。今後、世界市場でも引き続き事業拡大を達成することができるのであろうか。ハイアールの世界戦略の中で、三洋との提携はどのように位置づけられるのであろうか。また、事業の再構築を進める三洋にとっては、ハイアールとの提携はどのような意味を持つのであろうか。(1)

ハイアールの沿革

海爾(ハイアール)集団は山東省青島市に本社がある中国最大の家電メーカーである。主な製品は冷蔵庫、冷凍庫、エアコン、洗濯機で、中国国内でトップシェアを維持している。グループの総売上高は2002年度で711億元(約1兆196億円)、従業員数は約3万人である。ハイアール製品は世界160カ国で販売されており、ハイアールは世界65カ国に販売拠点を持ち、13カ国に生産拠点を有している。

ハイアールの首席執行官(CEO)である張瑞敏(チャンルエミン)は1949年生まれで、中国で最も有名な経営者の1人である。張は中国共産党中央委員会委員候補で、中国の人民代表大会代表でもある。

ハイアールの前身である青島市日用電器廠は、1980年代前半に洗濯機の製造・販売を行っていたが、デザインが古く、品質が不安定であったため、83年には累積赤字が147万元に上っていた。このため、84年に当時の直属上部機関の青島市家電公司は、経営再建のために家電公司副経理の張瑞敏を工場長兼党支部書記に任命した。張は当時35才であった。

1985年、張は市場競争力のない洗濯機生産を中止し、当時市場拡大が見込まれた冷蔵庫生産に切り替えることを決断した。張は欧州視察に出向き、冷蔵庫生産や品質管理を学んだ後、当時最高の技術水準を誇る西ドイツのリープヘルから冷蔵庫の生産技術供与を受ける提携を行った。

青島市日用電器廠が発売した「琴島利渤海爾」(チンタオ−リープヘル)というブランドの冷蔵庫の売り上げは好調で、同社の年間売上高は、1984年の348万元から88年には2億6000万元に急増し、累積赤字が解消した。この頃、青島市日用電器廠から青島市冷蔵庫総廠へ社名変更を行った。

1991年には青島市冷蔵庫総廠(当時、年間売上高11億元)は青島冷凍庫総廠、青島空調機廠と合併し、青島市最大の家電総合メーカー「琴島海爾集団」が設立された。1992年にはリープヘルとの技術提携期間が終了し、琴島海爾集団の社名は「海爾集団」に変更された。

1995年にはハイアールは青島紅星電機廠を吸収合併した。この合併により、海爾集団は大規模な洗濯機生産ラインを手に入れ、冷蔵庫、冷凍庫、エアコン、洗濯機という4本柱の企業となった。95年の売上高は43億元となり、中国トップの家電メーカーとなった。

その後、1997年には、ハイアールは家電メーカー6社を傘下に収め、連結売上高は108億元となり、中国の家電メーカーとしては初めての100億元メーカーになった。

1998年には中国政府はハイアールなど6社を「特大型企業」に指定し、世界のトップ500社入りを目指すように命じた。特大型企業には、資金や土地の提供、輸出貿易権の付与など優遇策を与えられた。

1990年代の合併・買収によってハイアールの事業は多様化し、ハイアールは現在、冷蔵庫、冷凍庫、洗濯機、エアコンという4大主力製品に加え、電子レンジ、食器洗浄機、カラーテレビ、パソコン、携帯電話、携帯情報端末(PDA)、システムキッチン、製薬、工業ロボット、コンピュータソフトウェアなどの分野も手がける総合家電メーカーとなっている。

冷蔵庫生産への転換

張瑞敏がハイアールの前身である青島市日用電器廠の工場長になった1984年は、中国では洗濯機の初級品が普及のピークを過ぎた時期に当たり、市場には粗雑な品質の洗濯機が出回り、売れ残りの在庫が深刻な問題になっていた。

張が工場長になってまず行った決断は、洗濯機生産を中止し、冷蔵庫生産に切り替えることであった。これは食生活水準の向上により、一般家庭の冷蔵庫需要が高まるという市場調査に基づいた決断であった。張は、1週間以内に洗濯機の旧製品に関するすべての資材、原料、半製品を処分し、在庫の洗濯機を格安で従業員に売り渡すという決定を行った。

当時、中国国内には100社以上の冷蔵庫メーカーがひしめいていた。都市部を中心に冷蔵庫の一般家庭への普及が進み、冷蔵庫は売り手市場であった。当時の中国家電メーカーは、日本から冷蔵庫組み立て技術と製造ラインを導入し、原材料と主要部品、半製品を日本メーカーから購入して冷蔵庫を生産すれば、どんな品質の製品でも売れる状況であった。

しかし、張はアジア地域唯一の「四つ星」ランクを誇る西ドイツのリープヘルと生産技術提携を結んだ。当時、中央政府が認可した冷蔵庫生産メーカーは40社以上あり、中国政府は産業政策の見直しに入っていた。しかし、張の懸命の説得によって、「四つ星」の品質を持つリープヘルとの生産技術提携が中央政府に評価され、青島市日用電器廠は中国国内で最後に許可された冷蔵庫生産指定メーカーになることができた。

「琴島利渤海爾」と名付けられた冷蔵庫は、まず青島市内の家電店で飛ぶように売れ、次いで山東省内の他の都市でも売れ始めた。冷蔵庫事業は稼働した年度に早くも黒字化し、青島市日用電器廠の業績は好転した。1988年に開かれた中国初の全国冷蔵庫品質コンクールでは、「琴島利渤海爾」ブランドの冷蔵庫は金賞を受賞した。

積極的な経営拡大策

冷蔵庫生産の成功によって、ハイアールの業績が好転する頃、山東省の産業発展計画が策定され、石炭、鉄鋼、石油化学、紡績、家電という5大産業を山東省の経済開発の柱にするという産業政策が定められた。全国的なブランドになった「琴島利渤海爾」は山東省の家電業界発展の先兵と位置づけられ、これがハイアールの発展をサポートした。

1992年にケ小平は「改革開放政策」を訴えた南巡講話を行い、中国全土で改革加速の気運が高まった。これを受けて、張は「ハイアール工業圏」の建設のために、山東省政府の支持のもとで青島市郊外に工場用地の取得を申請した。当時、既にハイアールは「琴島利勃海爾」というブランドで山東省の家電業界のリーダーになっていたため、資金2億4000万元の融資許可を得ることができた。ところが全国の開発ブームが過熱化したため、各銀行は国務院の指令により、わずか40日間で銀行融資を中断するに至った。張の迅速な行動のおかげで、ハイアールはその40日の間に建設資金を確保できたわずかな企業の1つになることができた。

その後、引き続き行われた第2期工事の資金調達の際には、ハイアールは全国的に有名になったブランド力を背景に、1993年に上海株式市場に上場して、3億6900万元の資金調達に成功した。

ハイアール工業圏は1992年に工事が開始され、93年秋に一部工場の稼働を開始した。ハイアールは銀行融資、株式発行と留保利益によって、延べ16億元の建設資金を調達することができ、96年にハイアール工業圏の建設を完了した。事業規模の拡大と共に利益も順調に伸び、96年には銀行融資の全額返済を完了することができた。

ブランドの重視

ハイアールが冷蔵庫生産に転じ、業績が好転した時、社内では生産拡大を急ぐべきだという意見が出た。しかし、張瑞敏は「現在、社内の管理と技術水準は、まだ大量生産体制が求めるようなレベルに達していない。品質向上と管理強化なしで、このまま性急に盲目的に生産拡大に踏み切ったら、市場を失うだけでなく、品質とブランドがその犠牲になる」という考えを貫いた。(2)

当時、冷蔵庫を生産していた他の多くのメーカーは品質を軽視し、アフターサービスもおろそかにしていた。そのため、1988年頃から冷蔵庫の売れ行きが急減すると業績が悪化するメーカーが続出した。競争力が落ちた冷蔵庫メーカーの多くは、外資の傘下に入り、多くの中国ブランドが消えていった。

中国の家電業界では、何年おきにか値下げ競争が起こるが、ハイアールは値下げ競争に巻き込まれることなく、常に価格を維持する姿勢をとってきた。この価格競争を避ける方針について、張は「価格戦を避け、価値戦を行う」と表現している。

1989年に全国的に冷蔵庫の値下げ競争が起こった際にも、ハイアールは他のメーカーとは逆に冷蔵庫の12%の値上げを実施した。この結果、89年には値下げ競争で体力を消耗したメーカーが次々と淘汰されたにもかかわらず。ハイアールの冷蔵庫販売量は逆に増大することになった。

現在、中国ではハイアール製品は国内メーカーの商品や一部海外メーカーの商品よりも売値が高く設定されている。家電販売店が「値下げキャンペーン」を行う場合も、「ハイアール製品は除く」と表示されるのが普通である。

品質の重視

1985年、ハイアールが冷蔵庫生産を始めたばかりの時期に、張瑞敏のところに販売店から冷蔵庫の品質に関するクレームが届いた。張は倉庫に行き、約400台の在庫品を調べ、品質に問題のある冷蔵庫を76台見つけた。当時、中国では品質に問題のある家電製品はその程度によって、二等品、三等品と区別され、安い価格で売られるのが普通であった。しかし、張は従業員を集めて、ただちに粗悪品をハンマーでたたき壊すように命じた。

この時、張は従業員に対して、「これまでに品質の理念が確立されていなかったため、このようなみっともない製品ができた。この責任は君たちではなく私にある。責任を取って私の給料をカットしよう。しかし、今日のことで品質観を変えよう。今後、粗悪品が出たら、君たちの責任になる。君たちの給料がカットされるのだ」(3) と言い、その月に工場長の張瑞敏と技師長の楊綿綿の2人は給料を全額返上した。この事件はハイアールの社員の品質に関する考え方を大きく変えるきっかけになった。

1988年にハイアールが全国冷蔵庫品質コンクールで金賞を受賞した際には、その授賞式の写真とトロフィーを本社に展示するとともに、張は冷蔵庫をたたき壊した際に使ったハンマーも一緒に展示するように指示している。

現在、ハイアールの工場では、各生産工程で、品質チェックポイントが設けられている。ハイアールの作業員は毎月、1冊に綴じられた品質責任価値券を渡される、それは赤色の表彰券と黄色の処罰券からなる。製造現場では、品質検査員が定期的に各工程を巡回し、作業員は品質検査を受ける。品質に問題があれば、検査員は製造責任者の黄色の処罰券を切り取り、良質な製品を作り続けた場合は赤色の表彰券を切り取る。切り取られた券をもとに点数が査定され、優秀な人間は表彰され、問題が多い人間は罰金を支払う。品質の改善を怠り、切り取られる黄色い券の数が3ヵ月連続でワーストになると職を失うという厳しい規定も実施されている。

1990年代に入るとハイアールは、製品の品質基準に関する認証規格の導入を進めた。1992年から冷蔵庫を手始めに、ハイアールの全製品についてISO9001認証の取得を進めた。さらに1996年以降、ISO14002(環境基準)やドイツのVDE、GS、TUV、米国のUL、カナダのCSAなど各国の家電製品の品質認証をクリアーした。1999年度からは、米国のULユーザーテスト規格やカナダのEEV規格など品質検査基準の国際規格をクリアーしている。

顧客のニーズにこたえる製品開発

1997年、四川省の農村地域で、ハイアールの洗濯機の排水口がすぐ詰まるというクレームが寄せられた。ハイアールのサービス担当者が修理のためにユーザーを訪問すると、現地では洗濯機がイモ洗いの道具に使われていることがわかった。ハイアールの担当者は排水口を太くして、故障した洗濯機を再び使えるようにした。

この話を聞いて、張瑞敏はイモ洗いにも使える洗濯機を開発するよう指令を出し、ハイアールは、翌98年にイモや果物、魚介類が洗える洗濯機を発売した。この製品には、電圧が不安定な山間部農村でも使えるように低圧の160V(中国では通常220V)でも起動できる機能がついている。ハイアールはこのほかにも、チベット向けの酥油(チベットのバターの一種)が作れる洗濯機、電子部品工場に出荷される部品洗浄用洗濯機、韓国向けの薬草洗浄用洗濯機などを開発している。

98年には、ハイアールは上海で通常製品より幅や奥行きを小さくし、代わりに高さを高くした「小王子」冷蔵庫を発売した。中国では、リビングルームに冷蔵庫を置く習慣があるが、住宅事情が悪い上海では、アパートの間取りが非常に狭いため、従来タイプの冷蔵庫では大きすぎるという不満があった。「小王子」はその不満に応えて開発された製品であり、上海市場で大ヒット商品となった。

現在、ハイアールは「顧客は常に正しい」という理念を掲げており、新製品開発部門では張瑞敏の「ユーザーが求めているのは複雑な技術ではなく、操作の便利さである」という方針が掲げられている

。 2000年には、ハイアールはオンライン化したユーザー・オーダー・システムを開発した。ハイアールのウェブサイトにアクセスして、各種製品のユーザー・オーダー専用サイトにアクセスすると、例えば冷蔵庫では扉の開閉方向、扉のデザインや模様など、1品目について数十パターンの選択が可能になっている。特殊デザインの冷蔵庫の場合、地方都市や農村地域以外では、顧客がオンラインでオーダーしてから最長7日間で商品が自宅に届くようになっている。

サービスの重視

1994年3月に次のような事件があった。青島市でハイアールのエアコンを購入した老人が、タクシーを拾って販売店から自宅までエアコンを運ぼうとした。ところが自宅玄関付近で隣人に荷物運びを頼んでいる間に、そのタクシー運転手はエアコンをタクシーに乗せたまま、逃げてしまった。老人は退職金で買ったエアコンが盗まれたショックで倒れてしまった。

このニュースを聞いた張瑞敏は、ただちに被害にあった老人にエアコン1台を贈るように指示するとともに、全国主要都市で大型家電商品購入者に対する「無搬動サービス」を始めるよう指示を出した。これは、ハイアールの直営店または販売店が商品を顧客の自宅まで運び、据え付け工事と試運転を行うサービスである。

現在、ハイアールは中国全土に直轄販売会社42社、販売取次店900店以上、サービス拠点1万1900カ所と広範な営業網を持っている。さらに、全国50の都市で24時間無料のコールセンターを開設しており、ユーザーの修理要請や販売店からの据え付け工事の指示に対応するサービスチームを瞬時に出動できる体制を整えている。

これらのサービスネットワークは、本社中枢にある高性能コンピュータ検索システムと、各地に数十ある情報処理拠点を通じて、品質管理やクレーム処理など、即応体制でユーザーへの対応をしている。ネットワークの端末で製品コードを入れると、製品の生産・出荷日、製造責任者と品質検査者などを30秒かけずに検索することができる。

ハイアールのこのようなユーザーサービス体制は「三全服務」と呼ばれている。三全とは、全天候(1年365日・1日24時間体制で、サポートサービスおよび出張点検、修理サービスを実施すること)、全方位(商品配送、出張セッティングと調整、出張修理、定期的なユーザー訪問・点検を実施すること)、全無料(3年間の保証期間内はすべてのサービス項目が無料。3年以上の場合、終身サポート制度に基づき、点検・修理に関わる工賃・サービス料が免除される)の3つを指す。

また、ハイアールは、中国建設銀行と提携して、代金回収ネットワークを構築している。このシステムは全国各地の建設銀行支店や営業拠点を利用して代金回収業務を行うものであり、きわめて高い代金回収率を誇っている。

ハイアールの管理手法

1991年6月のハイアールの社内報に、ある中堅幹部からの投書が掲載された。その投書は、これまでのハイアールの幹部選抜制度が公平さを欠いたものだと批判し、人材登用の公平な競争を主張したものであった。この投書をきっかけにハイアールでは人材登用制度の改革が開始された。

1992年10月には初めての試みとして、幹部登用をこれまでの総経理任命制から「幹部契約招聘制」に切り替え、管理職の社内公募が実施された。幹部ポスト31に対して242人の従業員の応募があった。新制度では、応募者は多数の社員の前で自己PRをして評価を受け、面接などを経て、総合得点の高いものが幹部ポストに就いた。

現在、ハイアールでは中層幹部(中間管理職)だけでなく、高層幹部(事業部長クラス)、主要幹部(事業本部長クラスの役員)、さらには集団常務副総裁まで、社内公募制が適用されている。ハイアールでは、月1回、空きポストがあると公募が行われている。

また、ハイアールでは現場で何か問題があった場合、直接責任者が20%、その上司が80%の責任を負うという「八二法則」が採用されており、幹部の責任は大きい。幹部職に対する業績評価は定期的に公開されており、業績が悪い場合には降格か免職の処分が下される。幹部の任期は決められており、幹部も一般の従業員と同様に任期満了後は他の職場に配置転換され、一般社員同様に下位1割が淘汰される。ただし、実際には業務成績が悪かった幹部は降格か免職される前に他の会社に移っていく。

工場の現場では「三工動態転換」と呼ばれる制度が採用されている。三工とは優秀工(正社員待遇、全従業員の約4割)、合格工(一定期間の雇用契約により雇われる準社員、全従業員の約5割)、試用工(短期間の臨時雇用扱い、全従業員の約1割)のことで、勤務成績に基づいて、定期的にこの3つの資格の間で昇格、降格が行われる。試用工は会社の都合でいつでも解雇することができる身分で、勤務成績が改善しないと実際に解雇される。

ハイアールの管理手法は市場鏈(市場チェーン)と呼ばれている。これは、企業内部における製造ラインの各工程間、作業グループ間、物資供給部門と生産部門の間、生産部門と販売部門の間などのモノのやりとりを擬似的に市場での取引関係と見なす方式である。この方式のもとでは、前工程が次の工程に対する責任を果たした場合、サービスを提供した側がサービスを受ける側に対して報酬を要求できる。しかし、ミスで後工程に損害を与えた場合には弁償が要求される。

日常の業務管理は「OEC管理方式」と呼ばれる方式で行われる。従業員には3Eカードと呼ばれる勤務評価記録が渡される。3Eカードには管理責任範囲、勤務内容、仕事の目標、チェック頻度、進度要求、完成期限、チェックする人間の名前などが記載されている。

従業員は毎日、勤務終了後にこれらの項目を記入し、上司はそれに対してA、B、Cの評価ランクを記入し、その日の業績評価と報酬基準値が決められる。毎日の記録に基づいて、月末に点数賃金単価が算出され、その他に生産量や賞罰などが考慮されて、賃金額が決定される。ハイアールでは、高い能力を持つ技術者や管理者に対しては、個人の業務目標の達成度に応じて特別報酬を与える仕組みもある。極めて優秀で特別な貢献をした技術者や研究者に対しては、執行役員以上の処遇を与えることもある。

かつてハイアールは伝統的な工業制の組織構造をとっていたが、事業内容が多様化する中で、米国のゼネラル・エレクトリック(GE)にならった事業本部制が採用されてきた。その後、1998年に大改革が行われ、中心的業務を行う組織は、4つの推進本部(物流推進本部、商流推進本部、資金流推進本部、海外推進本部)と各事業・製品の統括を行う6つの製品本部から構成されるようになった。製品本部のみならず会社機能を担う推進本部も独立採算制がとられている。

合併・買収による拡大

ハイアールは1990年代以降、他の家電メーカーとの合併によって、事業規模と事業内容を拡大してきた。

1991年の青島冷凍庫総廠(冷凍庫)、青島空調機廠(エアコン)、1995年の青島紅星電機廠(洗濯機)の吸収合併により、ハイアールは冷蔵庫、冷凍庫、エアコン、洗濯機を4本柱とする家電メーカーとなった。

このうち、青島紅星電機廠は1980年代半ばにシャープから洗濯機製造技術を導入し、中国国内で洗濯機のトップを争う企業であった。しかし、品質管理に問題があったため、企業業績が急激に悪化し、ハイアールの傘下に入ることになったのである。

青島紅星電機廠を吸収する際には、ハイアールは廠長(工場長)と技術担当と財務担当の3人を送り込み、品質強化と新製品開発、アフターサービスの重視などのハイアールの管理手法を導入し、わずか4ヶ月で黒字転換を実現させた。

その後、1997年には、ハイアールは広東省の愛徳洗濯機廠、山東省の青島市第三製薬廠、菜陽家電総廠、浙江省の杭州西湖電子集団、貴州省の風華冷蔵庫総廠、安徽省の黄山電子集団と6社を傘下に収めて、事業規模を急拡大した。

このうち、貴州省の風華冷蔵庫総廠はもともと軍の直属企業であり、200人以上の高級技師を抱えており、かつては冷蔵庫のブランドの知名度もハイアールよりも上であった。しかし、軍需工場流の生産管理のもとで、新製品開発の遅れと品質の不安定さが原因で巨額の赤字を生んでいた。ハイアールはこの工場に関してもハイアール流の管理方式を導入して短期間で黒字化を達成した。

これまでハイアールは総計18社を合併・買収によって傘下におさめてきたが、同社の企業買収戦略は「休克魚(ショック状態の魚)を食べる」という言葉で表現されている。「ショック状態の魚」とは、生産設備などのハードウェア面では優位性をもっているが、市場戦略や管理に問題があるために停滞に陥っている企業を意味している。このような企業を買収し、ハイアール流の管理思想や管理方法を導入すれば、すぐに生き返らせることができるというわけである。

ハイアールは合併や買収にあたっては、ハイアール本社から数名の経営トップを派遣する以外はすべて元の経営幹部を起用し続ける方針をとっている。品質面では、ハイアール傘下に入った工場は、しばらくは旧来のブランドを使用するが、ハイアールの品質認証基準をすべて達成した時点でハイアール・ブランドに切り替えるという方法をとってきた。

海外企業との提携

これまでハイアールは製造技術導入を中心に海外企業との提携を積極的に行ってきた。

1985年に行われた西ドイツのリープヘルからの冷蔵庫生産技術供与は、業績不振にあえいでいたハイアールを立ち直らせる要因となった。93年にはハイアールは三菱重工業と業務用エアコン製造合弁会社「三菱重工海爾空調機有限公司」(MHAQ社)を設立し、同年、イタリアのメルローニとドラム式洗濯機の合弁会社を設立している。

その後、ハイアールは1997年にはオランダのフィリップス、ドイツのルーセントとカラーテレビの技術提携、98年には米国のC-MOLDとソフトウェアの合弁会社設立、そして99年には東芝と業務用エアコンでの技術提携を行ってきた。これまで海外企業と行ってきた技術提携は15件に上る。

事業多様化の状況

1990年代に行われた合併・買収によってハイアールの事業内容は多様化した。これによって、ハイアールは冷蔵庫、冷凍庫、エアコン、洗濯機では中国国内でのトップメーカーとなった。しかし、その他の事業の中には業績不振を続けたり、低位の市場地位に甘んじているものもある。

1996年にハイアールは医薬品事業参入のために、青島海爾薬業有限公司を設立したが、その後、同社は赤字経営が続いている。1997年の家電メーカーの買収により参入した扇風機事業は不振が続き、すでにハイアール・ブランドの扇風機は市場から姿を消している。電子レンジはトップメーカーから差をつけられており、パソコンは市場シェア2位を確保しているものの赤字が続いている。カラーテレビは黒字であるが、市場シェアはトップ4大メーカーに差をつけられている。

2000年以降、ハイアールは新たに金融・保険事業への多角化に乗り出している。01年から02年にかけて、ハイアールは青島商業銀行の株式の60%を取得し、鞍山信託を買収し、上場企業である長江証券の株式の7%を取得した。また、2001年には青島ハイアール保険代理公司を設立し、米国のニューヨーク生命保険との合弁でハイアール・ニューヨーク生命保険を設立している。

海外市場への進出

ハイアールは1992年にインドネシアに製品輸出を開始し、96年にインドネシアに現地企業との合弁で海外初の冷蔵庫工場を建設した。以後、アジアではフィリピンやマレーシアで合弁会社を設立して現地生産を行ってきた。

ハイアールは米国向けには中小型冷蔵庫の輸出を始め、販売実績が40万台に達したところで、1999年にサウスカロライナ州に冷蔵庫工場を建設した。

米国では、ハイアールの冷蔵庫、洗濯機、自動食器洗い機は大手小売りチェーン上位10社のうち8社で販売されている。価格は米国メーカーの製品よりも1〜2割安い場合が多い。寮やアパートで共同生活する学生向けに開発した「鍵つき小型冷蔵庫」がヒットして、小型冷蔵庫では50%近いシェアをとっている。

米国の現地法人では、トップは米国人で、生産部門、販売部門などでも重要ポストはほとんど米国人がついており、米国型の経営スタイルがとられている。

ハイアールは、ヨーロッパでは、イタリアで冷蔵庫メーカーを買収して自社ブランド生産を行っている。ヨーロッパのその他の国では、製品販売、アフターサービスの分野では現地企業を代理店として業務を委託する形がとられている。

このような海外進出により、現在、ハイアールは世界65カ国に5万以上の販売拠点や取次店、サービス店を持っている。海外には13の生産拠点(工場)を持っており、うち9社は合弁企業である。

張瑞敏は「3つの3分の1」(売上高のうち、国内売り上げが3分の1、輸出が3分の1、海外現地生産が3分の1)という目標を掲げている。しかし、現在のところ、中国国内売上高93億ドルに対して、海外売上高は13億ドルで、うち輸出が12億ドル、現地生産が1億ドルとなっている。

三洋電機との提携

2002年1月にハイアールと三洋電機は以下の内容の業務提携を発表した。

(1)中国市場でハイアールの販売網を利用して三洋の商品を販売する。
(2)日本市場でハイアール・ブランド商品を三洋電機の販売網で販売するため、合弁会社「三洋ハイアール」を設立する。
(3)ハイアール製冷蔵庫向けに三洋のコンプレッサーを供給する。
(4)三洋の基幹部品(2次電池、液晶、コンデンサ等の電子部品、モーターなど)をハイアールに供給する。

三洋がハイアールと提携したきっかけは、2001年9月に三洋の井植敏会長(当時)が青島のハイアール工場を見学したことであった。井植会長は、ハイアールの金型工場で日本、ドイツなどの最新式工作機械が導入されており、三次元CAD技術が駆使されていたのを見て驚いたのである。井植会長はハイアールとの提携について、次のように述べている。

「昨年(2001年)9月に青島にあるハイアールの工場を見学させてもらった。金型工場の現場では使われている機械が先進的であることに驚き、日本と比べて納期が短く、価格が安いことにさらに驚いた。」
「この提携を通じ、まずはアジアで不可欠な存在になりたい。市場のニーズは多様化しており、1社だけですべてのニーズに応えることはできない。お互いが得意な分野を手がけることで、市場を広げられると考えている。
例えば、三洋電機は家電製品ではハイアールよりも1〜2年先を行くものを作る。すると三洋はさらに先に行く。両社が協力することで、市場をどんどん広げることができる。」(4)

ハイアールとの提携を発表した当時、三洋は「モノづくり6:2:2」という方針を掲げていた。これは2005年をめどにモノづくりで営業利益の6割を稼ぎ、残りの4割を金融と流通サービスで稼ぐことを目指したものである。これについて、井植会長は次のように語っている。

「日本国内に製造拠点を持つ昔ながらのモノづくりではもう生きていけない。ただ、我々にはモノづくりを通じて蓄積してきた膨大な経験と知恵がある。このノウハウをフルに活用し、たとえ製造拠点が中国に移っても、モノづくりのコンサルタントとして生き延びてみせる。」(5)

この提携を受けて、三洋は青島のハイアール冷蔵庫工場隣接地にコンプレッサー工場を建設した。また2002年6月から、三洋はハイアールを通じて、中国で三洋製品の販売を開始した。これについて、合弁会社「三洋ハイアール」の社長に就任した井植敏彰(井植敏の二男)は、当時、次のように語っている。

「カメラ用1次電池、2次電池などの部品を手始めに、下期にはオーディオ、掃除機、ファクスなど三洋ブランドの製品へと広げていく。一方で、ハイアールへのOEM事業は、洗濯機と冷蔵庫を除くあらゆる製品で可能性がある。三洋ブランドとOEMを合わせ、ハイアール経由で1000億円の販売も無理な相談ではない。」(6)

日本国内では、2002年4月にハイアール・ブランド商品を日本市場で販売するための合弁会社「三洋ハイアール」が設立され、その後、中小型の冷蔵庫や洗濯機の販売を開始した。三洋ハイアールは3年後の2005年に300億円という販売目標を掲げた。

中型冷蔵庫の日本向け製品を開発した際には、ハイアールは設計から断熱材などの素材に至るまで、ほとんどの面で三洋の技術協力を仰いだ。ハイアールの冷蔵庫や洗濯機は日本製品と比べて多少安い程度の価格設定であり、価格ではなく品質で勝負する姿勢をとっている。

ハイアール側も、三洋との提携によって日本市場での急激なシェア拡大を目指していないと伝えられている。ハイアールの対日担当者は、日本でのビジネスを通じて、商品力を磨き、技術や販促ノウハウを吸収し、消費者ニーズを観察するよう命じられていると言われている。(7)

三洋電機の状況

三洋電機は1947年に設立された総合家電メーカーで、2005年3月期の売上高は2兆4846億円である。

三洋の売上高の4割程度はAV・情報機器である。このうち、携帯電話、デジタルカメラ、液晶プロジェクターなどは好調に売り上げを伸ばしている。デジタルカメラはOEMによって世界の生産シェア30%を維持している。液晶プロジェクターは世界シェアが10%台の後半で、トップである。また、カラーテレビは米国のウォルマート向けに三洋ブランドの製品を供給しており、2001年には米国で台数ベースでトップになっている。2次電池や太陽光電池などの電池事業は、売上構成比は10%台であるが、三洋のシェアは高く、高収益事業である。これに対し、白物家電製品の売上構成比は10%以下である。

2000年以降、三洋は業績が停滞しており、2005年3月期は営業利益が423億円(前年度は955億円)、当期純利益が1715億円の損失(前年度は134億円の利益計上)と業績が大きく落ち込んでいる。特に白物家電製品は不振が続いていると言われている。

2005年6月、三洋は代表取締役会長の井植敏が会長職を退き、これまで社外取締役だった野中ともよが代表取締役会長・CEOに就任し、井植敏雅(井植敏の長男)が代表取締役社長・COOに就任する人事を決定した。

次いで、2005年7月には、三洋は「第3の創業」と題する3カ年の経営再建計画を発表した。この計画では、売上至上主義から事業価値、収益力強化を目指す企業体に変身するために、以下の目標を掲げている。

(1)事業の選択と集中
(2)収益性の向上
 @国内工場20%(敷地面積)の閉鎖・売却
 A全世界社員の15%削減(国内8000人、海外6000人)
 B700億円コスト削減
(3)有利子負債を6000億円削減
(4)2007年度に営業利益率5%を目標

この再建計画について、2005年7月6付の日本経済新聞は次のように述べている。

「三洋電機が打ち出したリストラ計画は松下電器産業などの場合、すでに一巡しつつある。周回遅れとも言える「選択と集中」だが、それでも残す事業と撤退する事業を明確にすることはなかった。
白物家電は赤字脱却が遅れており、OEM分を含めると世界トップ級のデジカメも単価下落で利幅が縮小した。強かった携帯電話端末向け電荷結合素子(CCD)の高画素化では開発の遅れが目立つ。具体的に手を打つ分野は多い。」(8)

[注]
(1) このケースは、経営教育のための教材として執筆したものであり、ケースに登場する企業の経営の優劣の判断を示すことを目的にしたものではない。
(2) 王曙光『海爾集団−世界に挑戦する中国家電王者』東洋経済新報社、83ページ
(3) 王曙光、前掲書、101ページ
(4) 「中国最大手ハイアールと提携した三洋電機の賭け」『日経ビジネス』2002年1月21日号、13ページ
(5) 「三洋電機の箱船経営」『日経ビジネス』2002年10月14日号、28ページ
(6) 『日経ビジネス』2002年10月14日号、30ページ
(7) 王曙光、前掲書、236ページ
(8) 日本経済新聞2005年7月6日

[参考文献]
王曙光『海爾集団 世界に挑戦する中国家電王者』東洋経済新報社、2002年
孫健『中国最大最強の企業グループ ハイアールの戦略』かんき出版、2003年
遅双明編著『ハイアールの企業文化 中国トップ家電メーカーの経営戦略』近代文芸社、2004年
西口敏宏、天野倫文、趙長祥「中国家電企業の急成長と国際化 海爾(ハイアール)集団の研究」『一橋ビジネスレビュー』2005年春号(52巻4号)、東洋経済新報社
「中国最大手ハイアールと提携した三洋電機の賭け」『日経ビジネス』2002年1月21日号、日経BP社
「三洋電機の箱船経営」『日経ビジネス』2002年10月14日号、日経BP社

(「青山マネジメントレビュー」第8号に掲載した文章を加筆修正)

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