著作
経営財務入門 第4版
(井手正介氏との共著、日本経済新聞社、2009年)
 
経営財務入門 第4版 株式を上場しているほとんどの大企業では所有と経営が分離しており、経営者は株主の委託を受けて企業の経営をおこなっている。このようなプリンシパル(委託者)とエージェント(代理人)の関係はエージェンシー関係と呼ばれる。エージェンシー関係は私たちの日常生活にも広範に見られるものであり、患者(プリンシパル)−医者(エージェント)、依頼人(プリンシパル)−弁護士(エージェント)などがエージェンシー関係の例としてあげられる。企業におけるエージェンシー関係としては、株主(プリンシパル)と経営者(エージェント)の関係以外に、債権者(プリンシパル)と株主(エージェント)の関係も存在する。

標準的なファイナンス理論は、企業の経営者は株主のエージェントとして、企業価値や株主価値の最大化のために行動すると想定する。株主と経営者の利益は常に一致していると想定するわけである。しかし、現実の世界では、プリンシパルとエージェントは常に利害が一致するとは限らない。経営者が株主の利益に反する行動をとって自己の利益を高めることもしばしばおこなわれる。例えば、企業経営者が、自己の社会的名声を高めるために、価値創造ではなく単なる規模拡大をめざして事業をおこなうことは大いにありうるし、必要以上に豪華な社用車や役員室を使ったり、交際費を濫用することなどもしばしば見られることである。

エージェンシー問題が起これば、企業による価値創造が阻害されることになる。このようにプリンシパルとエージェントの利害の相違から発生する企業価値の低下幅は、エージェンシー・コストと呼ばれる。エージェンシー・コストが発生する原因としては、情報の非対称性(プリンシパルとエージェントが同じ情報を持っていない)やプリンシパルによるエージェントの監視が不完全であることがあげられる。エージェンシー問題が発生しないように、情報の非対称性を緩和するために取られる行動のコストも、エージェンシー・コストに含まれる。

このように、現実の企業では株主と経営者の利害は必ずしも一致するとは限らず、経営者は株主のために行動するとは限らないため、どのような企業でも多かれ少なかれエージェンシー・コストが発生している。以下に述べるように、企業の負債利用や配当支払いなどの企業の財務行動は、エージェンシー・コストを増減させることによって、企業価値に影響を与える可能性がある。

(「第9章 市場の効率性、情報の非対称性とエージェンシー理論」より抜粋)

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